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“ZOOTOPIA”/『ズートピア』~無作為の差別と「誰でも何にでもなれる町」~

例によって例の如く遅きに失してしまったが、某SNSで友人が感想を述べていたのに感化されて久々に更新をしたい。

去るGW。
“ZOOTOPIA”/『ズートピア』を観てきた。

http://m.youtube.com/watch?v=XFLtHhqjTuY


当初はスルーの予定だった本作だが、タイムラインが好評の嵐だったのでついつい観てきてしまった。

結果、かなりの良作だった。

物語の舞台となる動物たちの暮らす街・ズートピアのキャッチフレーズ、「誰もが何にでもなれる街」……これが物語の根底に流れるものであると感じた。

※以下、ネタバレ注意※






主人公であるウサギのジュディは勝ち気な女の子。
正義感が強い彼女の将来の夢は「警察官」。

夢自体は立派だが、周囲の誰も彼女の夢が実現することは無いと思っていた。
多種多様な動物が共存して社会生活を営む今作の世界において厳然と存在する「種の間の身体能力における圧倒的差」。
ウサギから警察官になった者など一人もいない世界において、田舎ウサギのジュディが大都会ズートピアで警察官になることを予想する者など誰一人いなかった。



もう一人の主人公であるキツネのニックは狡猾な詐欺師。
この世界においてキツネに貼られたレッテルは「嘘つき」。
彼の生業はキツネに対するその世評を体現したものであると言えるだろう。

しかし、かつては彼にも素直な心で肉食動物初のジュニアレンジャースカウトになろうと努力をしていた少年時代があった。
そんな彼は、団員になることを妨げようとする草食動物達から、故意に肉食動物としての凶暴性を表出させるような罠に嵌められ、夢が潰えてしまう。
その一件以来、キツネ全般に対する世評ーズルで嘘つきーの通りに詐欺師として生計を立てることとなる。

バカが付くくらいに正直なジュディと、世間からは謂われの無い批判を受け、かつての仲間には裏切られ、世間に対して斜に構えてしまっているニック。
この二人が交流を重ねることで互いに影響を及ぼしあい、関係を深化させていく様が素晴らしい。



肉食動物か大型の草食動物以外入署した者のいなかったZPD(ズートピア警察署)。
そこに「非力な小型草食動物」の代表のようなウサギのジュディが入署し、最後にはズルで嘘つき、世間からの信用が全くないキツネのニックも入署する。
正に主人公二人で「誰もが何にでもなれる」を実現して見せたのだ。

「世間に規定された枠組みを自らの力でぶち壊してなりたい自分になる」というストーリーがとにかく僕は好きなので、この展開はとても燃えるものがあった。
(同様のテーマを持った作品として好きな作品の筆頭が“PLANES”。
僕にとって2014年のベストムービーだ。
2014年の映画を振り返る」)
そして威厳のある姿なので見落としがちだが、ZPDのトップであるボゴ署長は水牛。



並み居る屈強な肉食動物達を押し退けて署長の座に着いている草食動物の彼も、「誰でも何にでもなれる」の体現者の一人なのだと言える。



本作は「「アナと雪の女王」、「ベイマックス」のディズニー最新作」と紹介文が書かれていたが、それらの2作品と本作を見て思うのは、最近のディズニーにはダブル主人公の作品が多いということだ。

『アナ雪』は主人公のアナとその姉エルサが共に冒険をするわけではないので「バディもの」ではないし、エルサが「奪還の対象=ヒロイン」と「ラスボス」の二役を務めるという変則的な構造。
また『ベイマックス』は原題“BIG HERO 6”の名の通り6人(内一体はロボット)のヒーローチームの物語だが、ヒロとベイマックスのバディが主役であることは疑いの余地がない。

ディズニーは伝統的に小動物や虫を「水先案内人」として物語に登場させることが多い。
“PINOCCIO”/『ピノキオ』のジミニー・クリケット、“LITTLE MERMAID ”/『リトル・マーメイド』のフランダーやセバスチャンはその一例だ。
彼らは物語の先導役であると同時に、自由奔放で衝動に任せて行動しがちな主人公達にとって世間一般の意見を代弁してくれる「理性」の役割であり、またブレーキ役でもあるのだ。

そんな伝統のある中、直近の三作においては立場の上で同等な「バディ」関係の二者による物語を続けて提供している。
このことの意味を考察してみるのも面白いかも知れない。


また、本作を観ていて思ったのはジュディの色気だ。
学生時代、漫画好きの友人と話していて盛り上がった話題に「手塚先生の描く動物キャラってエロくね?」と言うものがあった。



上の『W3』(ワンダースリー)のボッコなどはその典型だろう。



この絵等を見るに手塚先生は恐らくケモナーの気があったのだろう。
この絵は2年前に先生のご令嬢・手塚るみ子さんが生前使っていた先生の「開かずの引き出し」を開けた際に発見した貴重な資料の中の一つだが、没した後に実の娘に自身の性癖のを垣間見られた先生の心中を思うと同情を禁じ得ない……
Twitterにあげられた資料の数々は下記のURLで参照できるので手塚フリークは必見。
http://togetter.com/li/647740

そして件のジュディに話と視線を戻してみると……



か、可愛い……
可愛さの中にこれでもかと色気が詰められていて、クリエイターの性癖が伺えるようである。

ちなみに本作は吹き替えで視聴したのだが、ジュディ役の上戸彩さんの演技もとても良かった。
違和感のない演技で、エンドロール直前まで彼女が演じているときが付かない程だった。


最後に、この作品から読み解ける「差別」や「多様性」について述べてこの記事を締めたい。

ズートピア来てから、特にZPDに配属されてからのジュディの行動を目で追っていくと、署内のありとあらゆるものがジュディの身体の大きさに合っていないことに気がつくだろう。
机と椅子は元より、署内の受付カウンター、扉の大きさなど枚挙に暇がない。



多種多様な動物たちが警察官の職務に就いているが、従来警察官の仕事をすることが想定されていたのは前述の通りいずれも大型の動物たち。
ジュディのような小さな動物は建物が作られた時点で「想定の範囲外」にいたというわけだ。

これは意図的な差別ではなく「無意識から来るマイノリティへの無配慮」と云うことが出来るのではないだろうか。

僕らが暮らすこの世界を見渡してみると、町中には車椅子の方はどうやっても通り抜けることが出来ないような歩道があるし、地下鉄の通路にはスロープやエレベーターのない段差が無数に存在している。
これらは車椅子の利用者を差別しようという意識から生まれたものではない。
ただ、彼ら「マイノリティ」に属する方々に対する配慮が足りていないが為に駅舎がそのような作りになっているだけなのだ。

劇中でジュディという「想定外」の存在が直面する障壁は、「無意識から来るマイノリティへの無配慮」、ややキツい言い方をすれば「無作為の差別」の暗喩のように思えてなら無かった。


様々な人が様々に感想、考察を述べるネット上で感心したのが、ズートピアのトップアイドル・ガゼルについての言及だった。



ガゼルは女性シンガーとしてズートピアでトップに君臨するアーティストだが、彼女の頭部には立派な角が生えている。
ガゼルという動物は雌も短い角を持つが、長くて大きな角が生えるのは雄の特徴だ。

これは「ガゼル」というアーティストがトランスジェンダーであることの暗喩と言うことが出来るのではないだろうか。

この一連の考察を見たとき、僕は劇中でたびたび語られてきた「誰でも何にでもなれる」というフレーズの意味を真に飲み込めた気がした。

そして、これはグローバル化が進み、多種多様な人種・宗教を持った人間との共存が求められる今の時代を生きる子供達に対する、ディズニーからのメッセージであるように感じた。

90分という時間に山場を複数用意した物語を破綻無く納め、様々なメッセージを含めるディズニーというスタジオの作品作りの巧みさを感じる作品だった。
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