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“Kingsman THE SECRET SERVICE ”/『キングスマン』

10月19日、アントマンの次に観たのがこの“Kingsman THE SECRET SERVICE ”/『キングスマン』。

映画の存在を知ったときは「『英国王のスピーチ』で2010年アカデミー賞主演男優賞を勝ち得たコリンファースがスパイ映画に出るのか!」とビックリしたけれど、考えてみたら“Tinker Tailor Soldier Spy”/『裏切りのサーカス』でもスパイ役をこなしていたので意外でも何でも無かった。
しかしながらどちらかと言えば静かな役のイメージが強い彼がここまでバリバリのアクションもハマるのか、という新しい発見があった。

この作品を観ていて真っ先に思ったのは、アーノルド教授の役で出ていたのってマーク・ハミルじゃないか?ということ(そこ?)。
気になって気になって、映画を観終えたらすぐに調べなければという思いを抱き続けたまま鑑賞を続けていた(笑)

アーサー役のマイケル・ケインはダークナイト三部作のブルース・ウェインの執事アルフレッド、ヴァレンタイン役のサミュエル・L・ジャクソンはMCUシリーズのニック・フューリー長官。
MARVELコミック、DCコミック原作映画のキーキャラクターが登場する作品だった。

【イギリスとアメリカの比較】
今作はイギリスとアメリカの比較が強く描かれた映画だと感じた。
主人公のエグジー(タロン・エガートン)はLevi'sのジーンズを履きキャップを斜めにかぶり、パーカーを羽織るというアメリカの若者文化の影響を強く感じる服装。
もう一人の主人公ハリー(コリン・ファース)はスーツをぴっちりと着こなし、傘を持ち歩くいかにも英国紳士といった風体。

また、エグジーの今後の成功を望んでハリーが例え話に『マイ・フェア・レディ』を選んでいるのに対し、エグジーは『プリティ・ウーマン』を話題に出している。
これは二人の世代の違いを表しているものと思われるが、階級社会で田舎娘から淑女になる課程を追った「イギリスの」物語である『マイ・フェア・レディ』と、ビバリーヒルズやハリウッドを舞台にコールガールから淑女へとなっていく課程を追った「アメリカの」物語である『プリティ・ウーマン』という、国の違いも含んだ比較になっているのだろう。

ヴァレンタインの陰謀が明かされたあとに米国旗が映るシーンや、ハリーを自宅に招待したヴァレンタインが食事の席で勧めるのがマクドナルドである点などは、かなり明確にアメリカを敵に据えているなと感じるシーンだった。
(細かい点を指摘するなら、自分の愛犬にJBと名前をつけたエグジーに.アーサーがその由来を尋ねるシーンもそうだ。
「ジェームズ・ボンド?」
「いいえ」
「ジェイソン・ボーン?」
「ジャック・バウアー」
「ああ」
これもジェームズ・ボンドがイギリスの秘密情報部MI6に所属するスパイであるということを鑑みれば初めににその名前が出てきた意味も分かるはずだ。
先のロンドンオリンピックのセレモニーにジェームズ・ボンド役のダニエル・クレイグが登場したことは記憶に新しい。ジェームズ・ボンドはイギリスを象徴するキャラクターなのだ。)

原作者マーク・ミラーはスコットランド、監督のマシュー・ボーンはイングランドの出身だそうなので、イギリスへの愛国心が強く反映される結果になったのではないだろうか。

【人生を決定するのは何か】
キングスマンだった父親を任務で亡くし、母親は再婚。その義理の父親はゴロツキで、家庭に居場所がないエグジー。
スポーツに秀でた成績を残して期待をされるも、今はつまらないことで逮捕されてしまう。そんな恵まれているとはいえない環境に身を置いている彼。
そんな彼にハリーは語る。
「生まれの貧しさでは人生は決まらない」、「人は生まれた家柄で紳士になるんじゃない」、“Manners make man.”と。

日本の諺で言えば「氏より育ち」と言うことになるだろうか。本作の言いたいことはここに集約されているように思う。

【総括】
コリン・ファースがゴリゴリ近接格闘をしまくるという意外性が凄く面白い。
そして彼の年齢が55歳だと言うことを知って驚いた。

作品全体から視聴者を楽しませようとする意思を強く感じた。
しかし、気になる点も多くあった。
一つには多用されるスローモーション。正直言って過剰な演出のように感じてならなかった。
二つ目は「これは映画ではない」という台詞。
作中何度か使われた台詞だが、この台詞の存在が映画へ没入することの妨げになっていたように思う。

『マイ・フェア・レディ』や『プリティ・ウーマン』、ジェームズ・ボンドにジャック・バウアー、ジェイソン・ボーン……映画の中のキャラクターが映画を語れば語るほど、今自分が観ているものが映画なんだと強く意識してしまう。
分かる人には分かる、思わずニヤリとするようなさりげない演出であれば気にもならないだろうし、『テッド』のようなギャグ作品であればそういったメタな発言も面白く感じるものだが、本作のような作品にはそぐわないように感じた。
何よりこの台詞を言わせた意図が不明だ。

あとは全体的な緊張感の欠如についても指摘せずにはいられない。
「威風堂堂」のメロディーに合わせて人間の頭がロケットよろしく次々と打ち上がるシーンは引き攣った笑いが生じてしまった。

また、ヴァレンタインが全く戦闘力を持たないため、彼の義足の部下ガゼルを倒せば戦いが終わりだと分かってしまうのが良くなかった。
これも緊張感を緩める一因になっていたように感じる。

光る部分も沢山あったが、後半になるにつれて違和感が大きくなってくる作品だった。
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“ANTMAN”/『アントマン』

2015年10月19日。
気付けば2週間近く経過してしまっていたが、この日は年休を消化するために休みを取ったので二本映画を観た。
1本目は“ANTMAN”/『アントマン』。



アベンジャーズAoUを観た際に前売り券を購入していたものの、公開日である9/19は友人の結婚式、その後一ヶ月近く体調を崩していたので見に行く機会に恵まれず……
やっと見に行くことが出来たのが公開日から数えてちょうど一ヶ月目だった。
一ヶ月も経っていたのでTwitterなどで感想は多く目にしてきた。

その意見の中に、シリーズを重ねるごとに話のスケールが大きくなってしまったMCUだが、アントマンは身近なヒーローとして描かれているというものがあった。
本作を見終えた僕の感想として一番近いのはこの意見だ。

また、作品数を重ねることで入門のハードルが上がり、間口を狭くしてしまった感のあるMarvel Cinematic Universe (以下MCU)作品群において、MCUシリーズをこれから観はじめたいと思っている人におすすめする一本として最も適した作品の一つであると思う。

【二組の父娘関係】
本作はアントマンというシリーズの1作目に当たる作品であるため、主人公のスコット・ラング(ポール・ラッド)がいかにしてヒーローとなり、敵を討つか、という基本に忠実な筋書きをなぞるようにストーリーが展開される。

そしてその大筋を脇から固めるのがスコットとその娘キャシー、初代アントマン=ハンク・ピムと娘のホープという二組の父娘関係だ。
この二組の父娘関係は非常に対照的に描かれている。

ハンク・ピムは世界に名だたる大企業の創始者であり、豪邸を所有する人生の成功者である。
一方のスコット・ラングは窃盗を犯して捕まり、出所後は前科が災いして定職につけず、さらに妻とは離婚。親権を取り上げられ愛娘とは別居を余儀なくされているという、いわば人生を失敗した男。
人生を他人と比較することほど無意味なことはないと言うのが僕の考えだが、敢えて両者の人生を比較するのなら、ハンクは(この言葉は余り好きではないが)「勝ち組」、スコットは「負け組」と言うことが出来るだろう。

しかし面白いのは、父と娘の関係性について比較すると、ホープから全幅の信頼を勝ち得ていないピムと、愛し愛され信頼されているスコットとキャシー、といった具合に両者の優劣が逆転すると言う点だ。

スコットが誕生日プレゼントとして贈った人形を、キャシーが他の玩具を差し置いて就寝時ベッドに持ち込んでいるシーンは、キャシーのスコットに対する思いの強さを表現するのに非常に有効だったように思う。
自分も幼少期、寝るときは好きな玩具を枕元において寝たものだ。このシーンに懐かしさを覚えたのは僕だけではないはず。

親子の信頼関係においては対照的な二人だが、共通している部分がある。それは娘を思う気持ちの強さだ。
世界中の戦争事情を一変させかねない発明を破壊するというミッションの中、初代アントマンハンク・ピムと愛娘との関係の修繕という要素が同時進行していく。
この辺りもアントマンを他のヒーローよりも身近に感じる一因なのではないだろうか。

「自分のために戦うんじゃない。娘を守るために戦え」
この台詞はスコットの行動原理であると同時に、『アントマン』という作品の核心であると思う。

父娘関係がストーリーの根底にあるから、父親をずっと「ハンク」と呼んでいたホープが銃で撃たれたハンクを思わず「父さん」と呼んでしまうシーンがグッと来るのだ。

【アクションシーン・戦闘シーン】
シリーズを増すごとにこなれてきたアクションシーンや戦闘シーンはアントマンにおいても勿論健在。
身体のサイズを変えられる、アリを操ることが出来る、という未見時は地味に思えた能力だったが、かなり上手く作られていると感じた。
宣伝でも使われていたイエロージャケットとの子供部屋での戦いは笑いを交えつつ激しい戦闘が繰り広げられ、手に汗握った。
トーマスには二度見せ場があって楽しい。

また、イエロージャケットの破壊のための潜入工作の際、小さくなったアントマンがアリの背に乗ってサーバーを壊して回るシーンは実物大の人間が高層ビルの中を飛翔しているように見えて、自分の体のサイズを小さく出来るというアントマンの能力を描写するに当たって凄く良かった。

【CMに見るマーベルの本気度】
アントマンはテレビでもかなりCMが打たれていたように思える。
『アベンジャーズ』は1作目も2作目もかなりCMは打っていたが、アイアンマンを除けば単独作品では最もCMを目にしたマーベルヒーロー作品だったのではないだろうか。

中でもヤクルトとのコラボレーションCMは印象的だった。

CM戦略で一つ気が付いたことは、本編では大活躍のアリだけど、CMではその活躍が描写されていない点。
アリに対して生理的嫌悪感を覚える人がいるだろうから、意図的に外したのだろうと推測する。特に女性客の動員にはかなり大きく響きそうなのでこういった措置がとられたのだろう。

【Marvel Cinematic Universe諸作品との関わり】
イエロージャケットの破壊を「アベンジャーズに頼んだら?」と提案するポールに対し、「スタークには任せたくない」と答えるピム。
イエロージャケット破壊のために必要な装置を入手するため、アベンジャーズの施設に侵入を試みるスコット。それを発見して侵入を拒もうとするファルコン。
『アントマン』という作品がMCUという広大な物語群の中の一つであることを思い出させるシーンだ。

特にファルコンに対してファンだとスコットが告げたシーンは彼らが同じ世界に生きていて、またヒーローの活動が広く知られているということを視聴者に知らしめる良いシーンだった。

【ピム粒子の副作用とは】
アントマンスーツを装着しての訓練が上手くいかないスコットに対し、自分がスーツを着ると主張するホープ。
それに対してハンクはかつてアントマンとして活動していた際の影響が体に出ている、娘をそんな目に合わせられないと答えた。

娘には絶対にさせないことを他人であるスコットには平気でさせるって人間としてどうなんだそれ……

またその影響が何なのか今作では明らかにされていないので、次回作ではそれに触れられるのだろうか。期待。

【総括】
『アイアンマン』1作目から始まったMCU。
MCU作品群は幾つかのPhaseが設定されているが、今作『アントマン』はMCUシリーズ12作目にしてPhase2のラストを飾る作品だ。

これまでどんどん広がりを見せ、マクロ化を続けていたMCUを、一度ミクロの視点に戻すという大胆な試みがなされたのが『アントマン』だったのだと思う。
それは勿論ヒーローのサイズを指しているのではない。

異星人の侵攻を食い止めるだとか、天空から都市が落ちてくるのを食い止めるだとか、そう言った壮大すぎる活躍をするヒーローから、戦う理由も戦うフィールドもグッと身近なところに寄せてきた。

MCUシリーズにおける本作の前作(ややこしい)『アベンジャーズAoU』の最後にサノスが登場し、宇宙に六つあると言われるインフィニティジェムの存在がソーの口から明らかにされた。
宇宙規模の戦いを示唆したAoUから、お茶の間(正確には子供部屋)サイズにまでスケールを縮小した『アントマン』。

作品単体として面白いのは勿論だが、MCUシリーズ全体の流れや展開を俯瞰して見てみるとより楽しめる作品だった。

物語の終わりではホープが母親を継いで2代目ワスプになることはほぼ確実となり(頑なにホープがアントマンのスーツを着ることを拒んでたのにこの展開は正直かなり違和感がある)、アントマン2作目への期待も高まるし、エンドロール後にキャップ、ファルコン、バッキーが登場したことでMCUの次回作に当たる『キャプテン・アメリカ シビル・ウォー』への布石も十分。
アベンジャーズAoUで結束を強めたトニーとキャップがどうしてシビル・ウォーでは対立するのかその理由を考えていたが、ウィンター・ソルジャーことバッキーの処遇が関係してくるのかも知れない。

ニューヒーローの誕生と、同じ世界観を共有するMCUシリーズ全体への橋渡し。
『アントマン』はこの二つを破綻無くこなした傑作だといえるだろう。

“21st, October, 2015” BACK TO THE FUTUREメモリアルデー

Great Scott!!

“21st, October, 2015”……
本日2015年10月21日という日付は映画ファン、とりわけBACK TO THE FUTURE ファンにとっては特別な日だ。

何故なら、BACK TO THE FUTURE part Ⅱでマーティとドク、ジェニファーがタイムトラベルをした未来の日付がちょうど今日だからだ。

身の回りを見回してみると、ホバーボードで子供たちは遊んでいないし、一瞬でサイズを調整してくれるスニーカーも一般化していないし、ジーンズのポケットを外に出すファッションがはやってもいなければ、ジョーズは19までシリーズが続いてもいない。
どうやら僕らが生きるこの世界は、マーティとドクが旅した世界とは違う世界線に存在しているらしい。

BACK TO THE FUTURE 一作目が公開されたのは1985年。
以来30年間この作品は世界で愛され続けてきたわけだけど、本当に素晴らしい作品だと思う。
一昨年から去年にかけて映画館でシリーズ三作品を全て観て改めてそう思った。

世界で愛される作品と言えば、去年の年末の記事にも書いたけれど、セス・マクファーレン監督の“A MILLION WAYS TO DIE IN THE WEST”/『荒野はつらいよ~アリゾナより愛を込めて』にBTTFファンなら思わず笑ってしまうシーンが入っているので必見。
https://m.youtube.com/watch?v=Et3NQJP9NJE
※このトレイラーを最後まで観るとBTTFネタが何なのか分かってしまうので注意※


毎年どんどん素敵な作品が生み出され、銀幕を彩るけれど、生涯でSTAR WARSとBACK TO THE FUTUREを超えるほどのめり込める作品には出会えないんじゃないか。
そう思う。

この2作品は人生といっても良い。自分にとって何より幸運だったのは、同じくこの2作品を愛してやまない友人2人と高校生の時に出会えたこと。

今日、仕事のあとにそのうちの一人と会う予定だったのに急遽予定が入ってしまったとのことで会えなくなってしまったので大変残念。

そんなメモリアルデーである10/21発売予定のはずのトリロジーボックスが20日の時点で家に届いてしまっていた。


Amazon様々だ。何度も何度も見返そう。

STAR WARS最新トレイラームービー公開

本日2015年10月20日、“STAR WARS Episode Ⅶ / THE FORCE AWAKENS”の新しいトレイラームービーが公開された。『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』予告編 

正直、感動という一点についてのみ言えばラストでソロに“Chewie, we are home. ”という台詞を放たせた前回のトレイラームービーには及ばない。
というか前回のものが良すぎた。
出だしから砂漠に巨躯を横たえるインペリアル級スターデストロイヤーが姿を現し、“The force is strong with my family.”とルークが語る。

骸骨のようなダース・ヴェイダーのマスクが暗闇から姿を現し、“My father has it. I have it. My sister has it. You have that power too.”と続くルークの言葉から、「STAR WARSは今作も「スカイウォーカーの一族の物語」なんだ」と再確認させられる。

そして大気圏内で水面スレスレを飛行するX-WINGが映し出され、新しいデザインのトルーパーが登場し、戦闘シーンを交えた激しいシーンが連続する。

そして最後はソロのあの台詞だ。
泣いたよ。

映画館で泣いた。

泣いて涙をぬぐったらコンタクトが外れて四苦八苦したのは以前の記事で書いたとおり(笑)

……とまぁ、そんな前置きは置いておいて、だ。
今回のトレイラームービーを観て思ったことなどを書いていきたい。
今回のトレイラーは“Who are you? ”という問いかけから始まる。

それに対してレイは“I'm no one.”と答える。
これは予想でしかないが、このシーンは作品の中でも比較的冒頭に近いシーンなのではないかと思う。
“I'm no one.”と答えたレイが、自分が何者であるかを探していく。それが今作の大筋なのではないだろうか。
また、直後にフィンは“I was raised to do one thing, but I’ve got nothing to fight for.”と語る。

自分を何者でもないと語るレイと、戦う理由を見失ったフィン。
何か通じる部分があると感じるのは僕だけだろうか。
その後“Nothing will stand in our way.”というカイロ・レンの台詞 がフィーチャーされる。そして彼は朽ち果てて骸骨のようになったダース・ヴェイダーのマスクに“I will finish what you started.”と語りかける。
カイロ・レンのマスクの下がルークではないかという噂がまことしやかに囁かれているが、“I will finish what you started.”は子から父への言葉と考えると合点がいくような気もするものの、ヴェイダーの行ったことと言えばジェダイに対する粛正と銀河帝国繁栄の礎を築いたこと。

うーん……どうなんだろう。
銀河帝国に反旗を翻して反乱同盟軍として戦ったルークが父の意志を継いで「あなたが始めたことを僕が終わらせる(I will finish what you started) 」という意味だとは思えないし……

というかトレイラーの中でフィンと対立したり完全にダークサイドっぽいしなー。
カイロ・レン=ルーク説に対して僕は懐疑的だ。
次にレイ、フィンと話すソロ艇長というシーン。

場所はミレニアム・ファルコン号の内部だろうか。

“There are stories about what happend.”というレイ、“It's true. All of it - the dark side, the Jedi, they are real. ”と答えるソロ艇長。
Episode Ⅳから始まる旧三部作において、クローン戦争は過去のものとなっていたが、30年の時を経てルークやソロたちの活躍もまた一種の「物語(stories)」となっていったのだろう。

だからソロはそれらが実際にあったこと、trueでrealなものだとレイとフィンに伝えているのだ。
ストーリーの核に関わる部分をトレイラー冒頭で見せ、後半は戦闘シーンに比重を置くのは前回同様。
その戦闘シーンの中に青いライトセーバーを構えるフィンにと赤い十字のライトセーバーを構えるカイロ・レンが対峙するシーンがあるのは前述の通り。
そして最後に、ムービー冒頭で“Who are you? ”と質問を投げかけた謎の声が“The force, It's calling to you.Just let it in.”と囁く。

謎の声が誘うはフォースの暗黒面か光明面か--

公開までついに2ヶ月を切り、こんなトレイラームービーまで公開された。

いよいよもってSTAR WARSという祭りの到来が現実味を帯びてきた。
ウォルト・ディズニー社からSTAR WARS Episode Ⅶの開始前にはディズニーお決まりのシンデレラ城の上をティンクが飛ぶ、という描写はなく、LUCAS FILM の画面から始まること、20th FOX のファンファーレはないことが報じられた。

ディズニー社の持ち物になったのだから、フォクスファンファーレが無いのは当たり前といっては当たり前なんだけど、あれがないのは本当に寂しい。
自分の家で観るときは絶対フォクスファンファーレ流してやる。

これがこうなって……こうじゃ!

アベンジャーズAoU公開を記念して発売されたマウンテンデュー。

これが……


こうなって……


こうじゃ!
AoU公開前後にTwitterのタイムラインでマウンテンデューのアベンジャーズ缶の存在と、それを上手く開けば百円均一の額縁に入るという情報を得て自分も真似しようと思ったまま三カ月は経ってしまった。


先日こんなものも作ってみたので会わせて飾ろう。

「リア充オタク」という単語に過剰に反応するオタクの本質に迫る

この程日テレのZIPという番組で『リア充オタク』という単語が発信され、SNSではかなりその単語に対して大なり小なりの反応が出ている。
それに関するYahoo!ニュース「リア充」と「オタク」は互いに相容れないだろうという意見があったりするわけだが、特に指摘が多かったのはオタクが年間の「オタク活動」に使う費用が2000年前後の10万円から2万5000円に減じているという指摘に対してだ。

年間で2万5000円程度の出費で「オタクとしてやって行かれるのか」とか「オタクを名乗るな」とか、そんな意見が多い。僕は最初「趣味に費やす予算として年間2万5000円というのが決して高くは無いだろう。」とおもったが、自分が大好きな映画で考えてみたら一本1,700円として25,000円を1,700円で割ると14……って年間14本も映画を見ていればその人は立派な映画オタクと言えるんじゃなかろうか。
先日知って驚いたのだが、NTTコム リサーチによると、年間で映画を12本(月一)以上のペースで見る人間は10人に一人もいないという。

リンク先を見てみると月一以上のペースで映画館に足を運んでいる人の割合は全体の8%にとどまる。自分のLINEの友人数を見てみるとピッタリ400名だったが、果たして32名の友人が月に一度映画館で映画を鑑賞しているかというと……恐らく、いや絶対に行っていない。
そう考えると年間14本映画を見る人はやっぱり「映画オタク」といって良いだろう。25,000円って以外と大きい額なんだなと思った。

けれども僕が言いたいのはそんなことではなく、この言説に反論したり拒絶の色を示したり、過剰に反応をしているのは所謂「オタク」側の人間ばかりではないかと言うこと。

その理由はいくつかあると思う。
一つには自分たちの縄張りを「リア充」によって荒らされたくないと言う思いから来る自己防衛本能だ。

「人間という生き物は自己と外界の間に境界線を引きたがる存在である」というのが僕の持論なのだが(これについてはいつか詳しく述べたい)、今回の拒絶反応は彼我の境界線を犯された=アイデンティティを侵害されたことに対して、自分がオタクであるというアイデンティティを強固にしたいが故に出た反応だとみることが出来る。

金額の大小に注目し、「○○万円の金額を費やしている自分の方が上である」という方向に持って行く言説は「多く出費している自分」をより高位に位置づけることで自己のアイデンティティを保とうとしているのではないだろうか。
二つ目は、「他者によってアイデンティティを付与されることを嫌う」という性質から来る拒絶反応だと思う。

これを説明するには「そもそも“オタク”という単語はどう生まれたのか」という根本的な問題について考えなければならない。
実は大学生の頃オタク文化論を少し真面目に調べていたことがある僕としては、語り始めると長くなってしまう(笑)ので一つリンクを貼るにとどめておく。

この全てに僕が賛成しているわけではないものの、大枠をつかむにはかなり適したテキストであると思っている。

たけくまメモ 2005年3月15日 「中森明夫「おたくの研究」をめぐって」

この中のゆうきまさみ先生の意見を僕は支持していて、「“オタク”という単語は自然発生的に生まれたものではないか」というのが僕の意見。

元号が平成に変わってからこの世に生を受けた僕がこの頃の事を知る由も無いので、この辺りはいろいろな人の言説や自分の想像を頼りにするほか無いけれど、少なくとも当時のオタクたちが、他者からあてがわれる形で「オタク」という言葉を受け入れ、今に至るまで使い続けているとは思えないというのが理由の一つ。
特にメディアに初めて現代的な意味で「おたく」という単語が初めて登場したのは中森氏のコラムとされているが、その内容は「オタク」(氏は「オタク」とカタカナでは表記せずひらがなで「おたく」と表記している)に対してかなり攻撃的であり、これを受け入れて自分たちを表す名詞として「オタク」という単語を飲み込み、使ってきたとは思えないからだ。
このように「オタク」という単語の起源を巡って、誰に命名されたでもなく自分たちは自然と使い始めたとする言説は前述の通りアイデンティティを他者によって付与されることを嫌うという性質から来るものだといえるだろう。

今回の「リア充オタク」という単語に対する過剰な反応は、「自分たち“オタク”と“リア充”は相容れない」という拒絶反応と「メディアから新たな固有名詞を与えられること、またそれによってオタク文化の外縁部を侵略されること」に対する拒絶反応から来ているのだと思う。
けれども僕は思う。

日本のような平和な国に生まれ育った人間は趣味の一つや二つあるもの。

そうなれば「より深く知ろう」、「より収集しよう」と思うのはある種当然のことではないだろうか。

オタクという単語は、それ自体が明確には定義できない揺らぎを含んだ言葉である。
「宮崎事件」を契機に「オタク」を犯罪者予備軍のように扱う時期もあったが、今日において「オタク」という単語は一般化し、「ある一定の事柄に過度に傾注する人物」程度の意味合いしかなくなっているのではないだろうか。

その意味まで定義を広げれば、ある一定以上の収入を得、生活必需品以外のものに収入の一部を充てられる人間であれば誰もが「オタク」になり得ると僕は思う。

逆に、衣食住が満ち足りているのに「○○オタク」と言えるほどのめり込めるものがないのって、僕の基準で考えればそっちの方がおかしい(これについては僕の考えが極端だという自覚はある)。
オタクと呼ばれるか否かは、興味の対象が世間一般に認められているか否かの違いであり、たまたま興味の対象が漫画やアニメなど他者からの共感を得られないものであった場合、その人はオタクと呼ばれる。

僕はその程度に思っている。

「リア充オタク」という単語に拒絶反応を示すオタクの自覚があるあなたの周りには実は自分とはのめり込むジャンルが違うだけで、凄くオタク気質な人が潜んでいるし、自分はオタクに類さないと思っているあなたは、周りから見たらオタクに思われているかも知れない。
人は皆、誰もがオタクたり得るのではないだろうか。

ガメラ新作

ガメラ50周年を記念して新作?!

https://m.youtube.com/watch?v=8HH0k_HNjBA&feature=youtu.be

アメリカのコミコンで上記のトレイラームービーが公開されたらしく、映画好きや特撮好き界隈が密かに賑わっている去年のハリウッド(レジェンダリー)版ゴジラといい、怪獣映画を見て育った世代には嬉しい限り。
「平成ガメラ三部作で日本の特撮技術は頂点を極めた」と言われて久しいが、先日三部作を続けて鑑賞して改めてそう思った。

『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野監督総指揮でゴジラの新作が作られることも報じられているし、にわかに特撮関連のニュースが賑やかになってきた感がある。

最近、Twitterで映画クラスタの方々の意見を見ていて凄く「なるほど!」と膝を打った意見がある。それは「“特撮”は技術。あくまで“手段”であって“目的”ではない」というもの。

これは確か庵野監督がゴジラの新作を撮るという報に対して投げかけられた意見だったと思う。

庵野監督は特撮展というイベントに合わせて『巨神兵東京に現わる』という短編映像を作った。『新世紀ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:Q』の本編前にと公開されたので目にしたことがある人も多いだろう。

これは前述の通り特撮展に合わせて作られた作品であるため、「特殊撮影技術の復古」を目的として作られた。言うなれば良い映像を作るための“手段”であるはずの特撮技術が“目的”となっている作品である。

新作ゴジラにおいてはあくまでゴジラの新作を作ると言うことが制作陣にとっての命題となるため、それに徹してほしいという意見だ。
今回トレイラームービーが公開はされたものの、新作映画公開が公式にアナウンスされたわけではない(……んだよね?)ガメラは平成三部作の評価が特撮ファンの中で高すぎるが故に、もし新作が作られるならそれらを超えるというプレッシャーが常につきまとう。

どんな形に落ち着くにしてもファンは劇場に足を運ぶので、是非GOサインを出していただいて公開に漕ぎ着けてほしい。
何だがこんな滾るサイトもオープンしているし。
http://www.gamera-50th.jp/

否応なしに気分が高まる。応援したくなる。

THE ORIGIN





先日第1話が劇場公開され、第二話公開も控える『機動戦士ガンダムTHE ORIGIN』。
その原作コミックス1巻~12巻のKindle版が気でも違ったのかと言うくらい安い。

ちょこちょこつまみ食いしかしていなくて、いつか全巻制覇したかったので迷わず購入。



あと、先日ゴツボ・リュウジ先生の作品がセール価格になっていると作者本人のTwitterで知ったのでこちらも購入。

この頃電子書籍ライフが加速しています。

 

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